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仏教寺院
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- GPS WGS84. 00° 00′ 00.00″ N, 00° 00′ ″
- 世界測地系 経緯度 北緯 度 分 秒 東経 度 分 秒 付近
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- 「耳をすませば」
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- https://youtu.be/LX1wpLjJ8-8
- ※参考『』
- GPS WGS84. 00° 00′ 00.00″ N, 00° 00′ ″
- 世界測地系 経緯度 北緯31 度 分 秒 東経 度 分 秒 付近
- Global Positioning System(GPS)【全地球無線測位システム】
- 1秒は経度で約30m 緯度では25m
- GPS WGS84は世界測地系
- 1ノット(kt)は1時間に1海里進む速さ。1/10単位
- 海里(NM)は緯度1分(60分の1度)の長さ(約1.85km)
- ルートの決定よりも、地図では分からない名所などを特定して記録する用途。
- 外出時は常に磁気コンパスと一緒に持ち出し使用している。
道をひらくためには、まず歩まぬばならぬ。
守護のため建ててあがむる国分寺
いよいよめぐむ薬師なりけり
第59番札所 金光山 最勝院 国分寺 こんこうざん さいしょういん こくぶんじ
http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/59kokubunji/index.html
金光山 最勝院 国分寺
国分寺の歴史・由来
本堂
伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862?)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
大師堂
その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。
四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しつのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
国分寺の見どころ
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四国八十八ヶ所-LIST
見出しデザイン-B
握手修行大師
本堂・本尊
本堂は寛政元年(1789)に再建。
伝行基菩薩作の本尊・薬師如来像は県指定文化財。
書院
奈良・平安時代の出土品、平安から室町時代に制作された
資料価値の高い絵画、文書類が収蔵されている。
唐椿
伊予の10大椿とされ、四月中旬には
径17cmほどの牡丹に似た花をつけ、楽しませてくれる。
国分寺へのアクセス
大きな地図で見る
今治インターチェンジから国道196号線を東予市を目指して走ります。喜田村交差点の次の信号で左折後、直進。上徳駐在所のところを右折、約1km走ると左手にあります。
第59番札所 金光山 最勝院 国分寺 こんこうざん さいしょういん こくぶんじ
▲境内案内図
宗 派: 真言律宗
本 尊: 薬師瑠璃光如来
開 基: 行基菩薩
創 建: 天平13年(741)
真 言: おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
住 所: 〒799-1533
愛媛県今治市国分4-1-33
電 話: 0898-48-0533